長い入院生活を経て、ようやく退院の日が近づいたとき、どんな気持ちでしたか。
私は放射線治療のあと、高熱などで長く入院していました。この記事では、体調が少しずつ落ち着き、退院を迎えるまでの最後の日々を振り返ります。
前の記事では、腸の動きが少しずつ戻ってきた頃のことを書きました。
久しぶりに、腸が動いた
6月25日に久しぶりに普通の便が出てからは、毎日のように便が出るようになりました。
下剤は飲み続けていましたが、「腸が動いている」ということが本当にうれしかったです。
白血球の説明と、リンパ浮腫のケア
6月27日には、血液内科の先生から白血球について説明を受けました。
放射線が骨盤に当たった影響が大きいこと。
でも、骨盤以外でも血液は作られるので、これから数値が回復する可能性もあること。
「今の数値なら日常生活には影響ありません。」
その言葉を聞いて、少し安心しました。
この日、初めてリンパ浮腫外来の看護師さんが病室まで来てくださいました。
当時はできたばかりの外来で、看護師さんも試行錯誤しながら対応されていたように思います。
退院後の生活で気をつけることや、リンパ浮腫を悪化させないためのケアについて教えていただきました。
少しずつ、動けるようになった
少しずつ体調も落ち着き、自分でシャワーに入ったり、病院で洗濯をしたりできるようになりました。
苦しかった頃は、看護師さんがシャンプーをしてくださいました。自分では何もできなかった私にとって、ありがたいことでした。
先生からは「少し歩きましょう」と言われるようにもなりました。
今だったら頑張って病院の中を歩いていたと思います。
でも当時の私は、正直そこまでやる気はありませんでした。
売店へ行くくらいがちょうどいい運動でした。
私は昔から、目的がないと動かないタイプなんです(笑)。
その代わり、朝は一人でラジオ体操をしていました。
管が一本ずつ外れていった
食事が十分に摂れない状態が続いていたため、首からカテーテルを入れ、中心静脈栄養(点滴で栄養を入れる方法)で栄養を補っていました。詳しくは、胸水・腹水で呼吸も苦しかった入院生活にも書いています。
6月29日には、そのカテーテルが抜けました。
「ああ、やっと自由になれた。」
長い入院生活の間、いろいろな管につながれていました。
一本外れるたびに、少しずつ普通の生活へ戻っていくような気がしました。
食べたいものを、ノートに書き写す日々
入院中、食事ができなかった私は、暇になるとクックパッドを見ていました。
「退院したらこれを食べたい。」
そう思いながら、食べたい料理のレシピをノートへ書き写すことが毎日の日課でした。
退院の日
そして、退院の日がやってきました。
もちろん、うれしかったです。
病院からは栄養剤を持ち帰るように言われましたが、あの味だけは最後まで苦手でした。結局、家に帰ってからもほとんど飲めませんでした。
迎えに来てくれた家族と一緒に電車で家へ帰りました。
長い入院生活を支えてくれた家族には、感謝しています。
患者本人だけでなく、支える家族も大きな不安や心配を抱えながら過ごしていたのだと思います。
家に帰ったら、まず床に横になりたい。
入院中は、そんなことばかり考えていました。
ようやく退院できました。
でも、それは病気が終わったということではありませんでした。
このとき私がいちばん怖かったのは、これから始まる抗がん剤で、髪が抜けることでした。
放射線の影響が、このあと何年も続くことになるとは、このときの私はまだ知りませんでした。
👉 前の記事:少しずつ希望が見えた頃|人工肛門の不安と少しずつ動き始めた腸【第二部⑤】

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